こんがりマシマロ丼

蕩けて胃もたれ

できなくて何が悪いのか

インターネットのニュースやコラムでよく見かける、

 

「できない人の特徴」

「永遠に2流であり続ける人の口癖」

「できる人はこうしてる」

 

などなど、今はまあ適当に思いついた言葉をつなげたのですが、そういった「できない人でなく、みんなできる人になろう」という感じの文章をよく見かけるなあと思います。

タイトルの通り、私が思うのは「できなくて何が悪いのか」ということ。

 

*確かに、仕事においてできないことはちょっと困りものですけど、そういう意味合いで言っているのではないとわかっていただけると幸いです。

 

何と言いますか、できない人ができる人の口真似をしたところでポンとできるようになるわけでもなし…

それに、往々にしてこのような記事に目を留めるのは世間的に見てできる人なんですよね、皮肉なことにね。

 

いわゆるできる人って、私の考えになりますけど、謙虚さを持ってたゆまぬ努力があってこそ今の「できる」につながっていると思うのです。

努力も大切ですけれどここでのポイントは謙虚であるということ。

 

「俺はできるぞ!」と自覚していたら、それ以上できるようになろうという気持ちが薄れると思うのです。

ソクラテスの言葉じゃないですけれど、満足してしまったらそこまでかなと思うのです。

永遠に不満足なのもなかなか酷だとは思いますし果たしてそれで幸せになれるのか疑問ですけれども…その話は今回は置いておきましょう、脱線してしいますので。(現時点で大分脱線している)

 

つまり、私が「なんだかなあ」と思うのは、「できる人になろう」系のコラムはすでに客観的に見てできる人の目にしか留まらないということ。

謙虚な・向上心にあふれるできる人たちは、それを見て「もっと頑張らないと」となりますよね?

 

できない人はできないままで、できる人がより一層頑張るのってなんだかフェアじゃないと思うんです。

ずっとそれで向上していければいいと思うんですよ、でも、人には限界ってものがありますから。

限界というか壁にぶち当たったときって誰だってショックですしめげると思います。

だけれどこのようなコラムがあるから、「これでへこんだらできない人になる」なんて思う人が出てきてもおかしくないかなと感じるのです。

 

わざわざ言わなくてもわかると思いますけど、体の疲れまたは心の疲れを無視してむやみに動き続けると…そうですね、私が言及する必要はありません。

 

「ばかでえ、休みくらい自分でとれるわ」

 

そういう方はいいんです。

しかしですね、先ほども申しあげました通り「謙虚」な方。これがなかなか大変なんです。

謙虚というよりは卑屈、に近いかもしれません。

常にできる人でないといけない環境で育った人、こういった方の場合、どうなると思いますか?これも説明は別段いりませんよね。

 

こういった強迫的なものに追われている方って、皆そろいもそろって自分をいたわるのがへたくそなんですよ。

休むという選択を取ろうとしないんですよ。

 

お願いだから「できる人」になるようポイントを告げるだけでなくもっと休むことの有効性をたくさん説いてほしい。

そして私は休みを取ってグアムに行きたい。(私欲)(いけない)